えぇ????!

 死刑賛成反対の議論が何故深まらないのか、その前に、この国では心情的なものが議論になる以前の人間の上に覆いかぶさっている現状がある、それが何かと言えばいわば仇討感覚とでもいう忠臣蔵感情があり、古くから日本には曽我兄弟の仇討物語などが持て囃されてきた。侍階級でもない一介の町民や農民たちまでもが何故仇討物語に熱狂したのか、それは歴史的に庶民には心の開放する場所が与えられていなかったから、仕方なく????階級の仇討物語などで心の鬱憤を晴らしていたからである。その熱狂的信条が固定化され、それ以上のものにならなかったことが今もなお尾を引いて、議論の余地さえ入り込むのを妨げている、権力の側もそのほうが都合がいいから権力に楯突くものを処刑するために民衆の復讐心を巧みに利用しているのが、この国の死刑制度であり、わざわざ今回???の浅原はじめ死刑囚の処刑をまるで実況中継のように報道に???したのである。そうでなければわざわざ???政権がこんな???????な形で報道をする筈がない。

 そして何より多くの人が???の???事件から何かを掴もうと努力していた行動を遮るかのように、???政権が彼ら13人の命を突然断ってしまったのか、そこにも???政権の目論見が読み取れるのだ。明らかに???政権はこの処刑を一種の???のように国民に見せるのを目的に彼らの命を絶ったように見える、それは処刑を???した上川法務大臣が自ら前夜自民党の議員??????で???総理も加わり祝杯を挙げていたことからも十分見て取れる。彼らの心根からは???の主要?????を処刑することにより一つの時代を終わらせ、自分たちにとって敵のいない住みやすい世界を作り上げたい、という欲望をもって乾杯したことが窺われる。

 だが果たして13人の処刑によって更にそれを国民に派手に?????することによってそれは十二分に目的を果たすことになるのか。私はここで国民の一般的感情を披歴するつもりはない、それはもう今回の刑の執行に対する反応を見れば十分だからである。それよりも、むしろ私には今回の処刑には何の意味もない、と思う私の意見を披歴したい。

 なぜなら、何一つ終わっていないものをただ闇に葬っても残された者に苦しみが残るだけだからである、それより、浅原が心の底から自分が命を奪った人たちに、???????、と言わせるまで生かしておかなければ、死刑にしても意味がない。更に、そこまで社会を憎む意図に何があったのか、を解明しそこに至るまでに社会の側に何が足りなかったのか、それを解明しなければこの社会は更に前に進むことが出来ない、からである。だからこそ、?????の一人の豊田死刑囚は、何度でも同じことを繰り返す社会が続く、と言っているのである。

 それはもう一つの社会の闇、津久井山百合園の植松被告の事件がこの???事件に深く関係している。???政権はどうしてこの事件をさっさと裁判にかけ、植松被告の刑を決定しないのか、未だ裁判さえ始まらないのは何故なのか、弁護団は植松被告の鑑定留置を要求しているというのだ。本人が明らかに周囲に自分の思想を明らかにして、その意思をはっきり表明しているというのに。そして、彼ははじめから自分には大物が付いているから、死刑にはならない、と公言している。同じ社会を震撼させた事件でありながら、???政権の二つの事件に対する対応の違いが何を意味するのか、関心のある人は二つの事件の関連をよく検討してほしい、それが???政権の性格とこの社会をどこにもっていこうとしているのかを明らかにする???が含まれている。

 そして、何故???処刑前夜政権?????が祝杯を挙げたのかと、それが何を意味するのかは、実は日本の未来の姿に大きくかかわる問題であることをここで指摘して、今日はここまでにしておきたい。