キリスト教信仰における往相と還相 ― 信仰の転回点としての La mystique - 内的自己対話−川の畔のささめごと

 昨日の記事で紹介した本の著者 Jean-Pierre Jossua が序文を寄せている Michel Cornuz, Le ciel est en toi. Introduction la mystique chrtienne, Labor et Fides, 2001 は、プロテスタント改革派教会の牧師でもある神学者が率直明快かつ抑制された文章によってキリスト教神秘主義の問題に取り組んだ好著である。 著者は、キリスト教神秘主義に対してとかく無関心あるいは敵愾心を懐きがちのプロテスタント側の信者たちに向けて、キリスト教固有の神秘経験とは何であり、また何ではないかを明確化し、神秘家たちの文章から何を学ぶことができるかを、神秘家たちのテキストに丁寧にコメントを加えながら、前神秘経験、内面の道、祈りの中の離脱、実生活の中での離脱、暗夜における神との出会い、神秘的合一、実践における脱自など、細かく順序立てて説明していく。 序論では、昨日の記事で引用したのと同じ箇所を引用した後、その一文一文を解きほぐしているが、その段落の最後に著者が付け加えている一言が本書の最終目的をよく示している。

Il faudrait ajouter que, en perspective chrtienne, cette union conduit une transformation radicale de celui qui la vit pour un ncessaire retour au monde (M. Cornuz, op. cit., p. 17).

 ここでの union とは、言うまでもなく、神との合一のことである。しかし、キリスト教信仰においては、それ自体が最終目的なのではなく、いわばそれを決定的転回点として、この世界に還って来て、そこで働かなくてはならないというのが著者の主張である。神との合一を目指す離脱と放下が信仰の往相であると言えるのなら、この世界への帰還とそこでの働きはその還相であると見なすことができるだろう。