北海道での10年。住まいは変わり。 - 横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

横浜から北海道に移り住んだ最初の場所は札幌。

横浜となんら変わりがない。

ちょっと歩けば、コンビニあり、カラオケあり、居酒屋あり、ちょっとバスに乗れば図書館に行けて、札幌駅までもすぐ。

生活するには便利な住宅街だった。

夫と夫の子供、大学4年生と29歳の息子同居。

次に安平町追分。

町の中心は、ぐるって見渡せばすべて見えそうな小さな町。

その小さな町の中心から少々離れた農村地域。

開拓時代に建てたブロックつくりの屋根裏住まい。

屋根裏といっても、一応三畳ほどの部屋になっており、ここで子供時代、夫は兄妹と過ごしたそうだ。

認知症の義母と義父と同居。

次に同じ敷地の倉庫屋根裏。

ここで初めて夫婦水入らずの生活が始まった。

ここはほんとの屋根裏。

ちょっと背を伸ばすとゴン。

テレビもない、水道もない、トイレもない。ないないずくし。

小さな窓からの光が時間を教えてくれる。

外に穴を掘って、用を足す。

水はもらい水。

次にそこからちょっと離れた、離農家の空き家。

幽霊屋敷みたいだったけれど、水道がある、お風呂がついている、トイレもある。

ここからが北海道暮らしの本格的始まりだ。

当たり前だと思っていた横浜の暮らし、札幌の暮らし。

なんにもないって、

特に困らなかったかな。

楽しくて、面白くて。

水がなければ貰いに行って、お風呂は車で走れば銭湯があるし、

洗濯は洗濯機を借り、

情報はラジオで聞き、

料理はごくごく簡単に。

でも、やっぱり、

自分たちの家が欲しかった。

幽霊屋敷は少しづつ生気が吹き込まれ、横浜で飼っていたワンコも飛行機に乗ってやってきた。

畑のメロンをむしゃむしゃ食べるアライグマの捕獲ゲージに入ってしまった猫さんも、いつの間にか同居。

その子供4匹も同居。

家族が増えていく。

認知症の義母は、「真知子さん居るかい?」と、雪が降っても、暑い日も歩いてやってくる。

最高な暮らしに変わっていった。

今暮らす恵庭。

ここも離農家の空き家だったところだが、追分とは雲泥の差がある都会的(?)な空き家。

普通の家。

あまりに普通ではない家に長く暮らしてしまうと、普通の家がもの足りなくなってくる。

まあ、いろいろあったけれど、

居心地がいい住まいって、自分と相性がいい住まいだよね。

ここ恵庭が終の住処になるのかな。